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概要

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ということになろうが、ただ耐重だけは不明である。当て推量で言うならば、耐重四OOとは重い物を背負会だったこの大会も、翌十って四00メートル走る競一年八月十七日の大会から1争というのであろうか。は、規模が大きくなり、午ところでこの大会の最大前九時から始まり、閉会はの特色は、競技場にあった。午後六時だったというから角力は諏訪神社境内の土本町通りが競技場四年に一度の十日町市民体育大会は、毎回盛大で市民を湧かせているが、こういう大規模な体育大会は、大正年間の中魚沼郡青年連合競技大会あたりからのようである。郡青年中窪田会の総会は、明治四十三年以降毎年十日町で開かれていたが、大正十年には総会を午前中に済ませて、午後から運動競技大会を実施している。場所は当時の十日町小学校々庭である。観客は「周囲に人垣をなしてその数実に幾午なるを知らざるなり」と、八月十日付の十日町新聞は報じている。こうして半日だけの競技と共に一直線に校庭に入として、現在の本町五丁目り、一、二着を決勝出場有四ツ宮公園前をゴlルにし資格者とし、すべて十二回て、二百米は仰野屋前を、(組)を行い、四百米はニ四百米は田川橋北方十八間之町銀行前を出発点とし、(一間は一・八二〆lト本町、諏説町を通りて決勝ル)の道路上を、という具線に入る事として十二回合に、何れにせよ天下の公(組)を、八百米は陣屋町道を走ることには変わりは(現在の駅通りの一部)をない。小学校の校庭では狭かったこと、道路を走れば町民大勢の応援が期待出来たことなど、さまざまな理由があったにしてもお現在ではまさに夢のまた夢というところであろう。競技の結果であるが、この大会では角力と撃剣以外は、ほとんどの種目で一、二、三等それぞれ二人または二組ずつ入賞している。出場者が多いためか、準決勝で打ち切ったということなのであろうか。参考まで文字通り「大会」の名に恥じないものだったようである。この大会の競技種目は、徒歩、耐室、リレl、走巾跳、角力、撃剣の六種目である。これを整理して現代の言葉で言い替えるならば、陸上競技、相撲、剣道俵、撃剣は小学校の女子部運動場と、この二種目については当然のことであるが、問題は徒歩の各種目であるJ。まず徒歩は二百米突(メートル)予選より之れを始め、諏訪町仙田屋前を出発点として、一発の銃声出発して西浦町、西寺町を通り四百米の走路を通る事として十二回(組)を、(後略)《大正日年8月初日》この十五日間、八月五日付の記事ではもう一つのコースが一市されている。それは徒歩及びリレ1のコ1ス8にこの大会における八百米リレー一位のメンバーを紹介しよう。一等十日町組滝沢恒次郎、小泉福松、田村憲太郎、波間重吉中条組佐藤茂平治、星野作太郎、中沢市幸、小川定治また、二十三町村各青年団の得点争いの結果は、優勝は岩沢村で、以下真人、千字、橘、中条、員野と続き、十日町は十位、仙固など七チlムが無得点に終わっている。そして翌大正十二年からは、城ケ丘に新グラウンドが出来て、郡青年団連合競技大会も舞台を変えて、いよいよ新時代を迎えることになる。(よしかず)31