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概要

t100

死亡事故の報道明治・大正の本紙を読んでいると、死亡事故の原因や様相が現代と大きく違っていることに気がつく。昔に多くあって今にないのは信濃川や中小河川、用水溜に落ちての水死、乳児の乳房や子守の不注意による窒息死などである。それに事故報道の脅さ方が昨今の夕刊紙やテレビジャーナリズムのあくどさとは縁遠く、また客観報道ともひと昧違う、いささか江戸時代の戯作者流であることであろう。一一一ニの例をプレイバックしてみよう。@人聞は猿ではない・しかも七十ニと云う年寄の癖にA本郡仙田村中仙回、農小林喜八(七ニ)は去る十七日午前九時頃、子供が時節柄うまそうに熱している柿の木の下でよだれを垂らして、食いたそうに見ているので「この蟹共奴が」とばかりにお伽噺しの猿蟹合戦の猿気取りで柿の木に登ったた」とも何とも云わずにこの裟婆を暇乞いした。折角長生きしてこの最後は気の毒な乙である。一般も注意を要す。《大正日年日月初日》悲しむべき事故をこんなふうに茶他していいものかと恩『つが、これがのどかな当時の新聞記事のスタイル新年宴会に招かれて泥酔し、帰途県道から四聞下の谷に墜溶死したとの報道。@母の不注意からこ才ッ子ギャフン《大正日年5月お臼》田沢村如来寺の母親がついウトウトと眠ったすきに這い出して台所の水船に溶ちた幼児の水死事故。が、人聞は猿とは違う。しかも七十二歳と云う年寄の身の、どうしたはずみか誤って地上にグシャリ:・:。グヮと云った切り、虫の息なので家内は大騒ぎをなし、早速池田医師の来診を求めたが、遂に午後三時「アノ餓鬼の木めが折れたばかりにコンナ自に会つ15なのだ。読者の興味を引く@高い山から谷底見れば・.ょう見出しにも趣向をこらこの子のお婆さんがダマッしている。その頃の死亡事て死んでた故の驚くべき見出しをいく《大正日年5月初日》っか並べてみよう。中条村魚田川で孫と一緒。新年早々谷から命をころ司に山菜採りに行き、孫だけころころ一人で帰って来たが、孫婆《大一止叩年1月叩目》サマ(三)は谷に溶ちて死んこれは下船渡村卯の木のでいたという話。男性(了〉が清津清風館での@御恩も深き主人を殺す・全体ソナたが畜生ゆえにA下船渡村駒返、農石沢満次郎(田口)は去る十一日午後五時頃自己所有の駄馬を使用中、その駄馬に蹴られて肋骨二枚を折られ、遂に即死をした。右届出により大割野より草間巡査部長出張、検視をなしたが、何を云うにも相手が畜生故に法が及ばず「よくも毎日命をつながして貰っている、御恩も深き御主人を足蹴にして殺すとは不忠者とも非道ともたと茎刀なき大罪者、おのれが心只一ツにて:・i」と泣きつ口説きつ言い聞かしたところで馬耳東風なれば困ったもの也。《大正日年1月四日》現代ならば記事の前半で終わるべきだが、馬に口説き言い聞かすことで読者の心をつかみ、奥行きのある記事に仕立てよげている。(兎庵)76