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概要

t100

明治大正十日町々名案内(後)前号で紹介した尚山氏の《大正3・9 -mv「町名調べ」が掲載されたこの後に尚山氏の、前号後、次の二つの文章が続けの揮名についてのコメントて載っているので紹介してが三行ほど付加されていみよう。る。「尚山」氏が内蔵輔社。町名調べについて長の筆名であることは推祭(外出生)出来るが、「外出生」がど前号尚山氏の町名調べのういう人物であるかは不明一説双手を挙げて賛成仕り候。かく申す小生も実際未だ町の区画を知悉(ちしつ)仕らず、此の狭き町にいながらしばしば惑う事有之候。町名の改訂、標目掲記は一白も早く願いたきものに御座候。依っては御撰名の町名一々其の当を得、いささか他に異論は無之候も、只水野小路は是非水野の名を存(そん)じ置き度ぐ、水野町の方むしろ可然哉と存じられ候。一寸御注文まで勿々。ものとがある0・それぞれ一之が実行の挙に出で、這般長一短であるが、自分とし(しやはん)夫々町名の標ては東京方式、つまり区域自を掲記されたり。依って制が良いと思うがどうであ'今ここに改めて紹介せば先ろうか」ず次の如くである。というような要旨の文で旧来の名称其のままの分ある。は原町、ー一ノ町、ニノ町、こうして町名論議が次第三ノ町、四λ町、五ノ町、に高まりを見せていくかと宮下町、裏ニメ町、高田町、思われた矢先、次のような袋町、七軒町、加賀町、西である。そして次の発行日、日月5日号には関連した文章が掲載されている。筆者名は「雷山生」とあり、内容はおよそ次のようなものである。「町名には東京のように区域制によるものと、仙台、‘新潟のように道路制による尚山氏の文章が発表されることになる。。町名発表本田助役の断行愚生先般十日町の町名調べを試みて公衆に謀(はか)りたるが、与論の向う所も亦幸に之と一致し、十日町助役直明書市民は町の体裁と公衆の便を図り、直ちに5浦町、田中町、川原町、田川町の十六ケ町で、次に改正を加えられたのが、各小路の称を廃して更めて町とした、諏訪町、東寺町、西寺町、水野町、関口町、樋ロ町、若宮町、陣屋町の八町で、新たに豆ノ町の中程即ち農事試験場入口の道を堺に以北を八幡町とし、五ノ町より山入ぺ向う道をぱ権現町とし、又相崎新道に面せるものを稲荷町とし、郡役所の橋以南を学校町とし、元宮下中の榎(えのき)川に面せる通りを榎町としたのである。之で今日の処その町名は合計二十余九となれり。なお本田助役も将来発展の箇所には徐々と新町名を付する見込であると語らる。(尚山)《大正3・u・4Vこうして大正初期の十日町々名整理改正案は、紙上に提案されてから四十日ほどですんなりと決着したようである。会てにおおらかな、良き時代のお話である。なお、糸屋町、御蔵町、金子町、栄町などの町名は、この時代にはまだ登場してLなL。12(よしかず)