ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

t100

ある雛妓の池田屋とくは以前プレイバックに登場した千手町生まれの高島屋千代野より三歳年下で、同時代に生きた女である。両人共に十日町の花形五人芸者の一人として山敬記者得意の歌舞伎糾白もじりの筆先に上げられ、からかわれている。。しらなみ五人芸者V問われて名乗るも鳥時町がましいが、生まれは三島片貝村、八ツの時から親に離れ、身の営業も知れた事、毎日こうした夜働き、芸者はずれど淫売はせず、人に情けも欠け徳ッく利、金谷をかけて宿々で、乞食の劃と高札に、廻した樽一筋で、目方はタッタ十七貫、千戸の町に隠れのねエ、賊の首領の、ではない豚の首領の生(三)池田屋おトクlッ。《大正3・8・日MV次に掲げるのは大女とくの出張出稼ぎ先、大割野での再々のご難を面白おかしい武勇伝として紹介報道した記事である。ら覚えのない事「ナニ之のへベレケ奴が生意気な」とさすが悪口屋だけ負けずに一言二一一一一回争うと見る聞に大勢の市の真ん中にモ!七転八倒の大取組みがオツ始まった。「ソラ喧嘩だ。真ツ昼中の出歯亀だ」と黒山を築く騒動に分け入る人があって、引分けて調べてみれは酔っぱらって正体をなくしたさまを云い「出歯亀」とは変態的なことをする男のこと。「拳闘」はゲンコと読み、にぎりこぶし、そしてそれでなぐること。どれも今や死語となってしまった言葉である。さて本紙大正四年新年号には十日町の芸者衆全員を。ねずみなか瀬ば池徳こそはィ、面の皮、企過日大割野市場ヘ出動しへペレケ男におとくの顔がた悪口屋の池徳、着任早々何と見えたか、或る女と間御愚負向き訪問の帰途、顔違えられたのだと判り、初も赤餓鬼、熟柿の様なへべ日からとんだ艶消レ。レケ男に出くわすと「コラLO人目なければ待て女、覚えていたか、こあのへベレケを〉で逢守ったが百年目だ」とせめて拳固の五つ六つ云いながら突然お徳に喰つ《大正3・9-m》てかhるを、徳公何が何やちなみに「へペレケ」と@角力番付に見立て、東西力士取組みを実現解説風にした抱腹絶倒の読物が載っている。全部を再録したいほどの傑作だがそうもいかない。池田屋とくは番付最高位西の大闘で、高島屋千代野は・小柄だったのか前頭下位に置かれていた。。十日町大相撲春場所企結びの一一沓は広見屋かねに池田屋とく、東西両大聞の顔合せなれば満場拍手を以て迎え、愚負々々は或は金と呼び、或は徳と呼び、しばし鳴りも止まず。やがて両力士は立ち上がるや一ト突きもせずして直ぐ左四つに渡り合い、金は差し手に衛を引き右手に徳の差し手を巻き、徳は同じく右手に金の差し手を巻いて1立ったるまう互いに呼吸を図り自重して動かず、水入り後は前同様にて引分ければ絵に書いたる様にて、瓶に‘入れて床飾りにすれば見事なるべし。《大正4・1・1》なんともたくみな文章である。「ケの字」山内敬一一一郎の文名が高かったことが納得できる。(この項続く)(兎庵)68